karatachi log

バカしかネットに書き込まない

 ネットに書き込みたい心理とは、「議論したい」という心理だと思うのだが(むろん感想を作者に伝えたい、とかもあるが)、違うのだろうか。日常に起こる様々な問題が共有され、それへの意見が拡散しやすくなったネット社会。しかし、問題が共有される一方で、真っ当に「議論」されている問題はあまりに少ない。

 

 ネット上における議論の場とはつまり様々なインターネットサービスのコメント欄であったりTwitterなどのSNSなのであるが、そこに書き込む人の多くが行っていることは議論でもなく喧嘩でもない、「レッテルの貼り合い」が主だ。これは特に政治的話題に多い。政治的考え方の違う人間を左翼だとが右翼だとか言ってさも違う生物種かの如く扱い、その政治的主張への反論を伴わない書き込みをする。これは「議論」ではない。

 私はこの「考え方が何となく似通っている人間を何となく名前を付けてくくっておこう」という考えはよくないと思うのだ。例えば、自民党の中にも個々の政策に対する意見の違いを持つ人間がいるように、左翼右翼と括られた人間の中にも考え方の違いが勿論ある。人間を一括りにしてしまうことは個々の意見をつぶし、反対の意見を持つ人間が貼りやすいレッテルを与えてしまうことにしかならない。何の意味もないのだ。

 議論とはすなわち譲歩する点の見つけ合いである。他人の意見なんて自分の意見と違って当たり前である。それを知るのが議論の目的ではないか!彼らレッテルを貼る人間は譲歩をしない。自分の考えの正当性を疑わず、ただ頑として自分の意見で相手を殴るだけだ。そこに何が生まれようか?

 

 ではレッテル貼りに奔走するネット民とはすなわち誰か。バカである。どんな問題も考えることで何らかの解決策を思いつくことはできる。のに、思いつかない。これはそもそも考えていないということだ。ただレッテルを貼り、蔑んだ側に立ったと思い込んでいる人間は考えないバカという他ない。

 あなたはバカになっていないだろうか?