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馬鹿者な若者が世の中を語るイタいブログ

JBL EVEREST 110 レビュー【ワイヤレスイヤホン】

今回はJBL EVEREST 110のレビューをしたいと思います。

この機種、日本では全く注目されていない訳ですが、結論から言うと非常に良く出来たワイヤレスイヤホンなのです。
ですから不憫なこの子の事をもう少しネットに書き残して置きたい訳です。


【良い点】
・非完全独立イヤホンとしては非常に小型軽量

・左右連結タイプワイヤレス
・装着感良好で長時間使える
Googleアシスタントが使える
・価格なりの音質


【良くない点】
・充電端子がUSBTypeCじゃない
・ケーブルがリュックとかに巻きこれるのが少し怖い
・10時間は稼働できない


さて、一つずつ。
小型軽量であるという点は装着感の向上にも役立つ訳ですが、これはかなり優秀なのでは無いでしょうか。勿論「つけているのを忘れる」などとは誇大広告はできませんが、有線イヤホンと比較してもその差は殆ど感じられません。

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私はこれをつけて何時間も勉強をしたりするわけですが、痛くなったり重かったりで外すことはまず無いです。(イヤーチップが蒸れることはありますが)
因みに付属のスタビライザー(ビョンとはみ出てる奴)は外したほうがいい!という意見を散見しますが私はつけています。かなり安定しますよ。(多分私は耳だけデカイ)


Googleアシスタントの事は別記事で詳しく説明させていただきました。↓


割と使える奴に育ちました。


価格なりの音質に関しては詳しくは触れられません…一言、クリアでいい音、だとは申し上げたいです。(なんの語彙力もない)


次にあんまり良くない点の紹介です。
USBTypeCの不採用に関しては千差万別の評価でしょう。私は普段のスマホがTypeCなのでなかなか困った訳ですが、普段からmicroをお使いの方なら好都合な訳ですから。ただ、TypeCの魅力はデカくて丈夫という点なのです。このような小型の機器の小さな端子に毎日ヘボいUSBをぶち込むのは少し怖い。早期の統一が願われます。


ケーブルの存在についても各々の見方があるのではないかと思います。巷でブームなのは完全独立ワイヤレス。しかし、左右連結タイプは過去の遺物なのか…と言われると断固として否定したい訳です。
例えば、コンビニでイヤホンを外して会計をするとき。左右連結ワイヤレスなら、片耳だけ、或いは両耳をとりあえず外すということはを容易にできます。一方、完全独立ワイヤレスではそのようなことはできない。これ、単純に怖くないですか?人混みでポロッと手から耳から落ちたら終了…とてもじゃないけど手に負えそうにないと感じてしまいます(使ったことないけど)。その点左右連結タイプは気が楽。使わない時は首から下げておけば良いのです。このメリットは完全独立ワイヤレスにも有線イヤホンにもないメリットです。使うときは耳に入れ、使わない時は首から下げておけるからなくす心配もなく、何時でもすぐには使えるのです。


バッテリーの持ちは必要十分でしょう。公称8時間となっていますが、実際には8時間ぶっ通しで音楽を聞くという機会も少なく、一日中持つイメージです。また、昼飯時などにモバイルバッテリーから充電すれば、昼食後には満タンになる位の電池容量ですから、電池問題を心配してワイヤレスイヤホンを敬遠されている方には、そこまで心配する必要はないとお伝えしておきたいと思います。


最後に、おすすめのイヤピースについて紹介します。

コンプライは非常に有名かつ信頼できるブランドです。純正のシリコン製イヤピースに比べて圧倒的に密着感・装着感・遮音性が向上し、機器のポテンシャルを引き出すことができます。このEVEREST 110に限らず、イヤホンを買ったら是非イヤピースを交換するべきだと強く訴えたいと思います。

(因みに公式では400シリーズ(軸径)が適合品だとされていますが、私は500シリーズを使っています。)

 

まとめ

私はこのEverestシリーズは2つめの購入となります。先代100はリュックと肩の間に挟んでしまい、イヤホン部分がカパッと開き断線してしまいました…今度は気をつけなくては…

 

ところで、一度壊して同じものを買う(100と110はほぼ同じ)というのはなかなかないことです。それだけの魅力を日々使う中で感じていた、ということの自然な表れなのだと思います。確かにEverest 110は市場においてはなかなか目立たない奴ではありますが、毎日使う中でのストレスは非常に少なく、馴染みやすいワイヤレスイヤホンなのだと痛感している次第です。

「愛国心」持っていますか?――「HINOMARU」の歌詞に寄せて

 
 「愛国心」はあるだろうか。
 そして、あなたの愛「国」とはcountryの国か、はたまたnationの国か、どちらだろうか。
 この歌が軍歌だろうと、右に寄っていようと、ここは現在、自由な思想や表現の行える素晴らしき国だ。誰に咎められる筋合いなどあるまい。しかしこの歌は、この歌を作った人、聴いてみて素晴らしいと思った人、拒絶したすべての人に対して、「愛国心とはなんだろうか」という問いを立てたという点で、大きな意味を持ったのではないかと思う。もしそんなことを造り手が予期していなくとも、だ。
 
人々の声を聞いてみると、「愛国心」は人それぞれの形を持つようだ。
 
 countryとしての「愛国心」は誰もが持っているだろう。自分の生まれ育った土地、文化、そして周りの人々。この愛国心を持つのは至極当然だし、芽生える理由も漠然と、しかし確実にわかる。ある種の親への感謝の気持ちに近いのではないだろうか。
 
 nationとしての「愛国心」。これを「愛国心」として呼ぶこと、呼ばれることに大きな違和感を持つのは私だけだろうか。nation、近代国家としての形を明確にする国民国家としての「国」はcountryとそこで育った人々を代表し、集約する無味乾燥な機関でしかない。国会議員はお偉いさんではなく、我々国民自身の分身であるということは学校教育を通じて何度も聞かされてきた話だ。
そして、国旗や国歌というものはそうした国家を象徴付ける物だ。大臣たちが会見をする前に国旗に礼をするのは国旗という物体に対して礼をしているのではなくて、国、つまりは我々国民に対して礼をしている。だから国旗や国歌を神聖なものとして崇拝するのは違うのではないかと思う訳だ。
(燃やしたりするのは明らかな敵意の発露だから無論気持ちのいいものではないに決まっている)
 
 そして、どちらの「愛国心」にも共通していえることは、教育されて身に付けるものではないということだ。私はこの日本という土地や文化、そこに暮らす人々は素晴らしいと思うし、その思想は決して対外的な排斥をしない純粋無垢なものである。そして、そのような思想は教育などせずとも伝わるものだと思うのだ。国家への愛国心、忠誠心は、勝手に抱く分には誰も文句をいう筋合いはない。しかし、それを忠誠される側が押し付けようとするならば、それはどんな意味の「愛国心」でもあるまい。
 
 私たちは幸運なことに非常に恵まれた環境に生まれた。その環境を維持するのは我々国民の義務であり、責任である。nationはそんな国民を助け、愛する存在でなくてはないらない。断じて国家は愛されるべき、忠誠されるべき存在ではない。国家が我々を愛するのだ。
 
あなたの愛国心は何に向かっているのだろうか。
 

池袋は住む場所じゃない

 住んだ事のない人間が新天地を夢見て投票する「住みたい街ランキング」。このランキングに扇動されて「ああこの街いいなぁ」などと思ってしまった人も多いのでは無かろうか。
 さて、最近のトレンドは「池袋」らしい。
 
池袋!!!!
 
一日でも居た人なら住みたいとは思わないはずの街がなぜ一位にランクインするのかは全くの謎であり、推測することは不可能に近いが、ランキングに踊らされるようなミーハーな方に池袋の恐怖を知っていただけたらと願っている。
 

1.臭い

池袋の東口を出てまず最初に異常を感じるのは嗅覚である。臭い。ここは草津温泉と嗅ぎ紛う程の腐乱臭!感覚的統計では駅前が臭うのは5日に3日程、街の何処かが草津温泉化している可能性はほぼ100%と言えるだろう。最も、この臭いは朝夜限定なので、ちょっと来て買い物しただけの人は気付かないのかもしれないが…
 

2.治安が悪い

大きな駅なら割とよくある光景だが
・朝夜に駅前に缶チューハイ飲んでる飲んだくれさんが必ずや居る。前夜に酔っ払って伸びてるおっさんを見ることは他でもよく見るけど朝まで飲んでるのはなかなかレアなのでは
・コスプレを超えたびっくりな装いの人が割とたくさんいる。さすがセカンド秋葉原
・JKの格好した立ちん坊が昼間から結構いる。(サンシャイン前にも) あれは検挙対象にならないのか…
・北口周辺はチャイナタウンってかチャイナ。明らかに異様な空気感
 

3.狭い

池袋は新宿や渋谷に比べて街の規模が狭い。大体駅東口から首都高までが賑わっているところで、西口や首都高以遠は静かな町並みだ。コンパクトなのはいいことなのだが、➀➁の臭い・治安が悪いという特徴もギュッと凝縮されてしまっているように感じる。どこを歩いても臭い、変な人がほっつき歩く…
 

4.古い

新宿や渋谷、丸の内エリアがどんどん再開発が進む中、池袋は古い建物が多く、オリンピック前の東京全体の再開発の風潮に知らんぷりなのは最早不思議といえる。東口界隈のビルは見かけも古く、調べると築50年のビルもザラである。正直そういうビルの中で過ごすのは万が一の時を考えると恐ろしい気もしてしまう。まあその御蔭で安いカラオケ屋が乱立してくれているのはありがたいのだが…
最も、再開発が全く行われていないわけではなく、旧市役所跡地の再開発や西口地区の再開発計画などが進行している。しかしながら、池袋の顔とも言える東口地区が全くその兆候が無いというのは全く残念なことだ。
 

5.街がごちゃ混ぜ

多くの街では「繁華街」とか「ホテル街」とか「風俗街」などといって、「そういうエリア」といのはなんとなく固まっているものだ。しかし池袋は散らかり放題である。街の様々なところに風俗店があり、予備校の隣にラブホがある。だからどこを歩いてもなんだか「洗練された街」の匂いは全くしないのだ。無論、北口周辺や西口にラブホ街や風俗街は存在し、そこはなんだか陰気臭い空気が他よりまして漂っている。最も、個人的にはラブホがあるのは全く悪いことでは無いと思うが。
 
以上池袋の悪いところを挙げてみたのだが、そもそも池袋に限った話でなく、あんなに大きな商業地域周辺に住む事自体が間違っている。ゴチャゴチャした街は個人的には好きだし、池袋を歩く人々の多様性はさすがだといつも感じるのだが、住むとなれば話は別である。商業地は良くも悪くも人が多く、様々な人種(人類学的な意味でなく)が集まる場所なのだ。そりゃ店や施設は充実するが、リスクだって超充実しているに決まっている。便利さはなにかを犠牲にして得られるものだが、果たしてそのリスクが享受できるメリットに比較して十分に大きいのか、住んだあとに後悔することにならないのか、よく考えて住む場所は考えるべきだ。住宅地だって伊達に住宅地じゃない
 
でも池袋って美味しい中華料理屋たくさんあっていいよね。

医学部入学は本当に正義か――賢さを捨てた英才たち

 今、頭のいい受験生たちは医学部を目指すのが流行らしい。その理由は安定した収入と地位だと聞いて驚きを隠せない。「少年よ大志を抱け」この言葉は今の時代、綺麗事になってしまったのだろうか。
 
こんな記事もあった
「基本、スマートフォンスマホ)はまだダメ。ラ・サール生はフェース・ツー・フェースでコミュニケーション力を高め、人間関係を学ぶことが大切です」。ドミンゴ校長はこう強調する。今どき珍しいが、寮生はスマホは禁止だ。一人でゲームアプリで遊んだり、LINEに興じることは許されない。
 (記事から引用) 

 

驚いた。今時スマートホンを持つこともできないとは(ネットが禁止とは書いていないが、おそらく禁止なのだろう)。昨今の社会は良くも悪くも情報にあふれ、今日知った情報が十日後にどれほどの価値を持つのかも予想できない。めまぐるしく変わる社会では必要とされる人材、職業も日々増えているというのに、秀才の彼らはその情報に触れる機会が少ないのではないだろうか。そんな環境で夢を抱くことはできるのか、就きたい職業に出会うことができるのか、小市民の私は疑問に思ってしまうのだ。私はインターネット上のニュース記事やサイトを見て学び、興味のある分野を発見したし、学部や学科はその興味のある分野から逆引きして見つけた。インターネットがなかったら私はどこの学部を受けていたのか想像もつかない。これは勝手な想像にすぎないが、夢の畑への道を断たれた彼らがもはや自動的に医者となる道を選んでいるとしたら、それは残念なことではないだろうか。
 
 ところで、最近の偏執的な医学部志望を批判する際に、「医者になる覚悟が本当にあるのか」とか「医者とは尊い職業で……」など述べる記事や御人がいるが、果たして本当にそうだろうか。私はそうは思わない。患者の腫瘍を摘出し命を救う行為が尊いのであれば同様に、自動車が事故を起こした時に人を守る技術を開発する研究もまた尊い。その研究者が尊いのであれば、その研究者が食べる食べ物を作る生産者もまた尊い医者とは尊い職業であるが、医者だけが尊い職業であるわけではない。どんな仕事も人を殺す可能性も生かす可能性も孕んでいる。どんな仕事にかかわるにせよ、覚悟というものは本来必要なはずだ。サントリーの缶コーヒー・BOSSのCMの一言が印象深い。
 
世界は誰かの仕事でできている
 
職業に貴賎なしとはよく言うが、正にその通りだ。医者という職業は確かに人を直接的に救うが、それと同時に、誰にとっても無益な仕事などない*1。医者だけが尊い職だと思うのはあまりに視野が狭すぎる。
 医者にだけ秀才が集まるというのは日本の社会にとって大問題だ。どんな分野にも秀才は必要で、医者だけが秀才集団になったところで救える命は少ない。癌が100%治せるようになっても、50%の飛行機が墜落するようになってしまっては素晴らしい社会とは言える訳がなかろう。
 無論、秀才たちにわざわざ安月給の会社に入って働いてくださいと言いたいわけではない。しかし、私たちは日々囲まれる安全な物たちに慣れすぎて、その存在の尊さを忘れてしまってはいないだろうか。たくさんの人々の苦労の上に私たちの生活があること、それらに正当な対価が払われているのかをもう一度考えるべきなのではないだろうか。
 
 秀才たちに夢がある社会であって欲しい。秀才たちが夢を描き、その夢を叶えるために研究できる社会であってほしい。その方が彼らにとっても賢い選択なのではないか、と馬鹿な私はそう思ってしまうのだ。

*1:誰にとっても無益な行為は仕事ではないだろう

俺が浪人した7つの理由

すみません、誰の参考にもなりません。この春から浪人する私がなぜ浪人したのかを分析し、後世に残す…ための忘備録になります。
 
1.センターの失敗
2.二次の失敗
3.数学の応用力のなさ
4.数学1A2Bのやらなさ
5.やりたくない教科のやらなさ加減
6.赤本を適当にやりすぎた
7.基礎・反復が足りなかった
 
 俺はセンターを失敗した。何を失敗したかというと答えは歴然で、国語と化学、そして数学2Bである。正直前二つはもう少し取れると思っていた。国語はセンター試験最大の博打、とは勉強不足の敗者のことばで俺の場合は特に勉強が足りなかった。自慢ではないが古典はまあまあできた、いや出来たんではなく何となく当たったっだけなのだが。助動詞なんて一つも覚えず、単語もテキトーでこたえられるわけがない。最悪なのは漢文だ。へんどくもじ?って感じでいつも模試を受け「漢字と設問と脚注でだいたいわかるわ」とかくそなこと言ってセンタープレを受けていた時を恥じたい。それは駿台の模試の出来がくそだったから解けたのであって俺の頭が何となく答えを導いていたわけではないのだ。その点で駿台が憎ましいといえば憎ましい。模試は「君アホだよ」と教えてくれるツールなはずなのに「君割とできるやん!」とまぐれを誉められ、アホな俺はそれにつられ、漢文の勉強を忘れた。最も勉強する理由は皆目見当もつかないのだが。次に化学だ。暗記が糞ほど苦手で嫌いな俺は無機も有機も覚えることを直前になって放棄した。というより、覚えることが膨大すぎて挫折した。理論化学を習ったときはまあまあイケていたのに、無機有機になったとたんに俺の頭は働くことをやめた。そして俺の志望大学は二次は化学がいらないという。センターを目標に勉強することは簡単なように見えるだけ見えて大変だ。周りの人は二次でも化学を使う人間ばがりで、そういう人間が受けることを想定して作られた試験をでかでかと「センター試験用」と書かれた問題集の必修問題だけを解いてできたできたと喜んでいるいたのは今見れば猿よりひどい醜態である。センター分だけの勉強なんてないというのははっきりと自覚すべきだし、できれば二次も使うつもりで勉強すべきだった。そして数学。数学はもともと六割とれていればいい感じ、ほかで取り返そうと思っていた。ハイクソー。その思考をまず完全に捨てるべきだ。意地でも8割だと思い続けるか、ほかで100点を狙わない限り、その思考回路は破滅をもたらす。数学2Bは確かに計算量もなかなか膨大で難しい教科であるが、それに逃げてはならなかった。今回は数学1Aがわりかしできたからよかったものの、それはまぐれだ。過去問も模試過去問もいつも8割とれているようにしなければ無理だ。そう思った。古典漢文、苦手で苦手でしょうがない。つまらない。覚えてなにになるんだ。数学、物理には現象から公式が導き出され、それによってどんな現象にも説明がつく楽しさがあるし、地理を学べばこの日本の国土のこと、さらに世界のことがわかり、それによって歴史にも結び付く楽しさがある。英語はパズルだ。英文の内容は面白い評論がおおいし、往々にして英語の先生は面白い。英作文は英作文の前に自分で意見を述べるという過程があってそれが面白かったりするものだ。なのに古典漢文だ。なにが面白いのか誰も教えてくれなかったし、古典漢文おもしろいという文系の友達もいなかった。先生もこうやって覚えればいいんだよとしか言わなかったし、その先生を文系の先輩が「わかりやすい」と神格化していた。「わかりやすい」というのはそういう意味なのだろうか。それは単に「覚えやすい」なのでは?と疑問に思ったものだ。本当に「わかりやすい先生」というのは「わかりやすくその教科の面白さを教えてくれる」とか、「わかりやすくその解法がなぜ今回用いられたのか説明してくれる」先生なのではないだろうか。誰も古典漢文を使ってなにかしたいわけでもなく、その文学作品に興味があるわけでもない。やらなくてはいけないからといってただやるだけ。でもそれが受験で必要とされている技能だ。ならばそれをやらなくてはいけない。そうだ俺ば受験生だった。俺ば学問の面白さを探すエクスプローラーではなかった。思い出した。そうだ。そう思い込んでこの一年を過ごさなくてはいけない。そうだ。そうだ。そうだ。それに意味があるかないかは将来わかること、と誰かが言った。いま意味の分からいものに一生懸命になって、目先の訳の分かるもの、夢を追いかけることを後回しにするのは果たして賢明なのかわからない。でもそういうものだと飲み込もう。そういうヒトになってほしいとこの国はいっているんだ。そうだ。そうだ。
 俺は二次を失敗した。どう失敗したかというと、英語の焦り、数学の未熟さである。英語は焦った。時間なんてなかった。英作文を先に解くのは本番が初めてだった。なんでそんなことしたんだというと言い訳はある。過去問の不足だ。現行の出題形式になってわずか二年分しか過去問がなかった。だからどう解くかということを研究することを怠った。だからどう解けばいいのかわからずに失敗した。長文も失敗した、該当箇所がたくさんあるように思えて後に回した。「後」なんてなかった。英作文は単語数をコントロールする練習を怠ったせいで文字数がオーバーし、適当に削った。最後にへんな付け足しをして全体のバランスが崩れた。数学は正直できた問題というものがほぼなかった。確率はセンター後も前もやらなかったし、やっても無駄だと思い込んだ。私大では必ずと言っていいほど出るし、二次だって出るかもしれなかったのに。証明問題への準備が不足していた。誘導を見つけることができていなかった。そもそもとして数Ⅲを甘く見ていた。問題をこなした数が少なかった。薄いからという理由で一対一数学をやり、やりきることもできなかった。思考力も低かった。数学は思考力で決まるのに、典型問題をつぶそうとしかしなかった。しかもつぶれていなかった。もっと網羅的な学習が俺には必要だった。青チャートも黄チャートも投げた。ちゃんとやっていたやつはちゃんと受かった。自分のやり方の姑息さ、手抜き加減を恥じたい。もっと地道な勉強が必要だった。小手先の勉強で得た付け焼刃は振りかぶるだけで落ちた。もっと基礎をもっと何回も解いて叩き込むべきだった。数Ⅲだけでなく1A2Bもだ。もっと基礎をゆっくり確実にやるべきだった。身の丈に合わない勉強は意味がなかった。つけた付箋はつけただけに終わった。つけた付箋は戻るためのスタートラインだ。スタートラインの先からスタートしたって記録には残らないじゃないか。もう一度大きなスタートラインに戻った俺は何回もスタートラインに戻らなくちゃいけない。ゴールラインだと思った線がスタートラインになる経験は一回で充分だ。同じ過ちを繰り返すな。自分に正直に生きろ。手間を惜しむな。惜しんだ手間は死ぬまでの借金にしかならない。いつ手間をかけるか。浪人は人生で唯一の返済猶予期間だ。このうちに手間を返せ。今まで惜しんだ手間を、捨てた時間を取り戻せ。目の前を見たらいけない。遥か彼方を目指そう。今を悔もう。
 若干の具体的な策を練ろう。国語。これは本当に基礎からやらなくてはいけない。俺の頭の中の国語建設予定地は現状更地だ。逆に基礎以外いらないんじゃないかとも思う。センターだけのために勉強はやめろとさっき言ったが国語は東大生でも満点を取るのが難しいらしいのだ。それくらい難しい。そこで高得点を狙うのはそれこそ博打になってしまう。他の勉強に差しさわりの内容に毎週毎週の積み重ねが物を言うのではないだろうか。次に化学だ。化学は現在二次でも使うことを想定している。そう考えると二次でも使えるほどには化学を伸ばさなくてはならない。覚えることははさっさと覚えて、継続的におぼえつづけるような勉強をしないと、本番で使えるほどの知識は蓄積されないだろう。そして数学だ。数学はセンター対策と二次対策、そして私大対策の根底となり、かつほとんどを占める基礎に重点を置いてまずは攻略しなくてはならないだろう。そのためにはまず網羅系参考書を夏までに終わらせ、同時に予備校のテキストを完全に理解しなくてはならない。それをさぼるとセンターに響くし、二次にも響く。浪人にあとはない。私大でも通っていいかなと思えるような大学を確保しておかないことには不安で死んでしまう。だから私大対策としては重要になるセンター以上レベルの1A2Bを獲得しなくてならない。数Ⅲも網羅系参考書を完璧にしなくてはならない。結局数Ⅲは典型問題にひねりを加えたり、1A2Bの応用をくっつけたような問題が多い。数Ⅲだけやっても数Ⅲは伸びない。それを肝に銘じて数学という一つの今日として網羅的な勉強をしなくてはならない。
 結局、やった分だけしか伸びることはないし、やったとしても不十分であれば1ミリも伸びない可能性だってある。今あることをひたすらにがむしゃらにこなすことに将来の大成した姿を見出し、楽しようとか、違う方法がないのかとか余計な事せず、誠実にやっておけば、道は開かれると思う。今までの俺は今から反面教師になった。浪人は黒歴史になるという人がいるがそんなことはないと思う。逆に現役時代が黒歴史になるんだと思う。ああ、現役のころの俺はバカだったなと思える日が来ることを夢見て、目の前を向きたい。

宇都宮LRTに反対する人たち――宇都宮LRTが成功する理由

路面電車の多くが淘汰された現代、全くのゼロから路面電車が建設される都市があることをご存じだろうか。栃木県は宇都宮である。
ウェブページも立派に整備され、着工目前といった段階である。しかしこの段階になるまでに多くの反対派との衝突があったし、いまだに反対している人もいるらしい。「税金の無駄」といわれた宇都宮LRTが必要であり、成功する理由を述べたい。(ちなみに路面電車LRTと考えていただいていい)
 

〇宇都宮LRTが必要であり、成功する理由

1.公共交通の充実は高齢化社会への対応策になる

税金の無駄だと叫ぶ人はこれからの少子高齢化・人口減少の社会を憂いて、「利用者いねーよ」と言っているのだと思う。が、そんなことは市もわかっている
このページではこれからの少子高齢化、人口減少を含んだ宇都宮の町とそれと共生するLRTをイメージしている。「LRT作れば便利で人口爆増だね♪」なんて能天気なことは書いてない。
 高齢社会にとって公共交通は必需品だ。最近は高齢者が車を運転し、誤操作や危険運転をした結果歩行者や他の運転者を死傷させるという事故が増加している。「免許さっさと返納しろ」という声も聞こえるし、実際高齢者には免許を返納してもらいたいものだが、果たして今の日本の地方地域においてそのようなことが可能かどうかといわれれば不可能と言わざる言わざるを得ないだろう
 高齢者が移動できない社会が高齢化したらどうなるか消費は滞り、町は活気を失うだろうし、家に引きこもりがちになったお年寄りはボケてしまうのではないか。また、公共交通が充実しているということは越してくる土地としても重要だ。いま都会に住んでいて車を持っていない人が引退後に越してくる土地に公共交通が整っていないというのは論外だ。移住地としての価値を上げ、人口減少に歯止めをかける、うまくいけば人口を増やすことができる政策なのだ。
 

2.トランジットセンターの仕組みが渋滞都市を救う

 この宇都宮LRTで重要なポイントは「トランジットセンター」である。トランジットセンターとはつまり「何かからLRTに乗り換える場所」である。この「何か」とはつまり車や自転車ということだ。つまりLRTの駅までの手段は各自で選べるということで、これが肝になるはずだ。もし、トランジットセンターがなければほとんどLRTは使われないかもしれない。
 LRTの大きな目的として、駅近辺の渋滞緩和がある。駅前までの手段を確保することで、要するに「駅前が分散する」訳である。駅前という非常に限られたスペースをLRTによって拡張するという意味があるのだ。トランジットセンターはすなわち「出張宇都宮駅」だ。今まで宇都宮駅まで来ていた大量の車、自転車を分散する。これが渋滞都市・宇都宮を救う。
 

3.バスは公共交通としては最弱レベルだ

LRT反対派の意見の一つとして「バスで充分」がある。様々な数字を挙げて反論するのもいいが、もっと実際的な問題として考えてみたいと思う。
バスに乗るときと電車に乗るときを想像してみてほしい。考え付く差異として…
 
第一に、バスが劣る点としてあげられるのは「狭い」ということだろう。車内には段差があり、もしその上(車体後部)に上ろうものなら込み合う車内で移動することも困難であるし、降りるのもに一苦労だ。扉も乗り口、降り口一つずつしかないので時間がかかる。これは乗るたびにイライラするポイントだ。
 
第二に、「乗り心地」もひどい。バスは自動車であるのだから非常に高加速度だし、高減速度であるから立って乗るのは大変だ。気を抜くとこけそうになるし、体の不自由な人にとっては危険ともなり得るだろう。LRTは併用軌道を通るとはいえ、車の流れに合わせる必要はないので加減速度は低い(そもそもゴムタイヤとアスファルトに加減速度で勝てるわけがない)から結果的に乗り心地の向上にもなっている。(無理やりな理論にも聞こえるかもしれないが、実際こういう利点は使ってみてから何となく感じるものではないだろうか)
 
他にもLRTが優れている点はあるが、それは公式Webをご覧いただきたい。(というか公式Webに書いてある理由の方がメインなのでそちらは必ず見ていただきたい)
公式ページでは他に、今までLRTの計画区間を走っていた車両を、LRTの駅から横へ向かう枝葉の路線用の車両に転用できる、といった点が挙げられている。
 

4.税金はつかうためにある

 これはLRTの話とは離れてしまうわけだが、「税金の無駄!」と叫ぶのもいいが、もっと無駄なものはほかにある!、と言いたい。なんで税金を集めるかといえば、使うためだ。何のために集めるのかといえば地域をよくするためだ。地域の公共交通の利便性を向上させることは前述の通り移住者を増やす策ともなる。人口減少を可能な限り食い止め、税収減少を可能な限り食い止めることは有意義な税金の使い方だと思う。目先の金額の大きさに反応して「無駄だ!」というのは思慮が足りないのではないかと思う。
 
以上が宇都宮が整備されるべき理由、成功する理由となるわけだが、補足として付け足しておくべき点を述べたいと思う。
 
まず、宇都宮LRTの終着駅は清原工業団地である。つまり工場で働く方を運ぶという役割を担うわけだ。慢性的な渋滞で「遠い」場所となっている清原工業団地LRTによって「近く」なれば工業団地の価値向上にも役立つうえに、定量の輸送を固定的に確保できる。故に、宇都宮LRTの需要は博打的要素少なく予想できるわけだ。
 
問題点を挙げるとすれば東武宇都宮駅とJR宇都宮駅を結ぶ区間が今だに着工予定ではないという点だろう。やはり東武線利用者もJR線利用者も宇都宮市街まで直通できることが必要だと思うのでこの区間の早期着工が必要ではないかと思う。(この区間については「調査中」ということになっている)

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宇都宮LRTの開通区間と停留所

 以上様々述べてきたが、宇都宮LRTは宇都宮の交通問題を解消する有効な手立てとなることは間違いない。LRTがどの都市にとっても有効な手立てとなるとは限らないが、ほかにも採用すべき都市があるはずで、東京もそのひとつなのではないだろうか。

 東京も都バスや私鉄バスが縦横無尽に走り回る都市でありながら、その利便性に関しては疑問が残る。特に臨海部と都心との往来には不便を感じることが多いし、超巨大駅の周りの町では南口から東口など、町のエリアを跨ぐだけでも長い距離を歩かなくてはならない。そのような場所にLRTがあったら…といつも思うものだ。これからの社会、どのような交通が未来に役立つのか、慎重に考える必要があろう。

 
 

東京都心の河合塾校舎比較【現役生・浪人生必見】

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大手予備校河合塾。全国津々浦々に校舎のネットを広げ、受験産業のみならず、大学と高校をつなぐ懸け橋になっているといっても過言ではない。と、大きな話をしたところで仕方はあるまい。受験生にとって、浪人生にとって予備校というのは非常に重要なツールである。そこで今回は河合塾に注目し、その施設、特に自習室について述べようと思う。
 
※レーティングについて
施設全体   :施設全体(教室やエントランス・エレベーターなど)のきれいさ
自習室    :自習室のきれいさ
アクセス   :最寄駅からのアクセス性
自習室の混雑度:自習室のキャパが学生数に見合っているか
民度     :通う生徒のモラルの高さ
について独断と偏見で評価しています。太字になっている項目はその校舎の最も大きな特徴を表しています。
 
※筆者の通塾歴
麹町校×1→池袋校×2→新宿校(×1)(年)
秋葉原館は自習でよく使ったり、たまに振り返えを入れたことがある程度)

麹町校

施設全体   :★★★★★
自習室    :★★★★★
アクセス   :★★★☆☆
自習室の混雑度:★★★★☆
民度     :★★★★★
 
【施設】
都心の校舎としては最も新しい校舎であり(本郷のが新しいのかな?)、完成度は高い。特徴的な設備が多く、最上階8階にあるホワイエと「医しのラウンジ」、「デルファイホール」はなかなかの独特な設備といえる。「医しのラウンジ」はなんと畳敷きの部屋で、仮眠をとる人や、輪になって昼食をとる人など様々な利用のされ方がなされている。「デルファイホール」は講演会なども開ける大きなホールで、通常は自習室として開放されている。広い部屋で勉強するのが好きな人にはぴったりだ。
ブース式自習室の欠点としては隣席との間仕切りが半透明のポリカーボネートであり、まあまあ透けることがあげられる。まあこれは集中してしまえば気にならないのだが、気になる人は気になるだろう。(見られてる感で逆に集中できる側面もある)
専用自習室は現役と浪人で完全に分かれている。現役生の自習室が満席になるということは直前期もなく、常時比較的すいている印象だ。
なお、自習室の座席は自分で選ぶことができる
 
【アクセス】
四ツ谷駅市ヶ谷駅麹町駅からアクセスできる。道のり的には 麹町<市ヶ谷<四ツ谷 であるが、麹町は有楽町線しか通っていないために利用できる人は少ないだろう。
次は市ヶ谷駅だが、もし南北線を使って通学しようとしているのならおすすめはあまりしない。市ヶ谷駅南北線ホームは外れた位置にあり、駅を出るまでに非常に長い距離を歩かなくてはならないうえに、駅を出た後も坂を上らなくてはならないからだ。
最後が四ツ谷駅であるが、四ツ谷駅から麹町校の間には上智大学があり、志望校とする人には特におすすめだ。駅から麹町校への道も平坦で、南北線市ヶ谷駅ほど離れていない(南北線は十中八九へんなところを通っているのでどこでも遠いのだが)
 
【椅子と机】
河合塾の椅子は今まで私の知る限りではふかふかな座面を持つ椅子が採用されているようだ。麹町校の椅子はいい感じのふかふか加減で座っていても疲れを感じることは少ない。また、机の物入もちゃんと板でできており、物も落ちにくくなっている。
 

池袋校

施設全体   :★★★☆☆
自習室    :★★★★☆
自習室の混雑度:★★★★★
 
【施設】
都心の校舎としては最古である。全体的にTHE予備校の感じが漂う。
 
<南校舎>
アクセス:★★★☆☆
民度  :★★★★☆
池袋校舎群のなかでは最もましである。何がましかというとアクセス以外であり、池袋東口から徒歩7分くらいだろうか。
ここの特徴は ①改装済みの一階現役専用自習室 ②地下自習室 であろう。
①はほかの自習室よりも格段にきれいになっている(除くトイレ)のでお勧めである。が、机が狭いのが玉に瑕だ。②は地下の大きな部屋にある自習室で、通常は指定席、講習期間中は自由席となる。デルファイホールと同じく、広い場所で勉強したい人に向いている。
 ブース式自習室に関しては①の自習室は間仕切りが大きく、隣はほぼ見えないが、そのほかのブース(二階)は間仕切りが小さく、容易に隣が見えるので仮眠がとりにくい。混雑度はまあまあといったところで、①は夏ごろから学校の授業後に満席になることが多くなるが、二階のブース式自習室は満席になることはほぼない。
 
<西校舎>
アクセス:★★★★★
民度  :★★★☆☆
西校舎・別館は最悪のロケーションと最高のアクセスを誇る。まずアクセスについてだが、メトロポリタン口からであれば徒歩1分もかかるまい。そしてロケーション…
鳥瞰すると(♡ホテル)[別館](♡ホテル)[西校舎]
という最悪の場所である。遅くまで自習していると、帰り際に手をつないだカップルを目にすることもある!!!オエェェ!そういう理由でからなのかわからないが現役生の講座の多くは南校舎で開講されているし、入塾説明会や保護者会が西校舎で開かれることもない。
まあまあ古さは感じるが、全体的に汚いと感じることは少ないほどには清掃が行き届いている。
自習室はブース式と管理教室式がある。ブース式は南二階のものと同じ机のものが設置されていて、隣席が良く見えてしまう。管理教室式は普通の教室なのだが指定席の自習室という一風変わった自習室である。どちらも満席になることは少ないが、かといって空いているということは通年ない。
 
<別館>
アクセス:★★★★★
民度  :★★☆☆☆
西校舎+ぼろさ=別館である。もともとがただのテナントビルを一棟借りして乗っ取ったからなのか、なんだかぼろくて暗くて汚い印象を覚える。また、もともとが校舎のために建てられていないからか、黒板の幅に対して部屋が幅広すぎる等の深刻な問題も抱えている。
 
<全校舎共通>
池袋校の大きな問題点は自習室の窓がすべてカーテンで覆われていることだ。これによる閉塞感は半端じゃない(と感じる人も多いだろう)。また、自習室でイヤホンを使って音楽を使っていると管理員に怒られるのも池袋校だけだと思う。さらに慢性的にトイレが不足しているほか、フロアによってトイレの性別が違うので、下手すると異性のトイレに突入してしまうという危険性をはらんでいる。
また、専用自習室(解放教室以外の自習室)は管理員によって勝手に席が決められるシステムで、自分で席を決めることができないのも特徴だ。
 
【椅子と机】
河合塾としては最もベーシックな組み合わせである、ふかふか椅子+でかい机である。ただし、机の物入は金属の棒でできている格子状のタイプのもの(伝わりにくいのだが、ストーブとかの前についているガードみたいな感じだ)であるため入れた物は十中八九落ちる。物は入れないほうがいいだろう。

新宿校

施設全体   :★★★★☆
自習室    :★★★★★
アクセス   :★★★★☆
自習室の混雑度:★★★☆☆
民度     :★★★★☆
 
【綺麗さ】
2006年に竣工したいまだに新しいと呼べる校舎である。全体的に校舎は綺麗だが、新しいがために逆に修繕の時期には至っていない…という事情があるのか修繕が必要だろうという箇所もあり、もったいないなぁと感じる。世界一の駅・新宿駅近くの校舎とあって塾生の数は多く、活気ある雰囲気が漂う。が、それに起因してに設備の摩耗が激しいという副作用がある事は認めなくてはならないだろう。
 
【アクセス】
あたりを超高層ビルに囲まれた大都会西新宿にあるため、直線距離的には新宿駅に近いのだが、(自動車の交通量が非常に多いので)目の前の道に横断歩道はなく、歩道橋を渡るか迂回して新宿大ガードを渡ることになる
個人的なオススメアクセス法をご紹介する。
新宿駅の地下1階に行く。
②西口地下道方面に移動する。
新宿エルタワーへの道を辿る。(頭上に様々なビル名が書かれた案内板があるのでたどり着けるはずだ)
④エルタワー地下入り口の前にあるエレベーターでデッキ階(2F)へ行く
⑤目の前に河合塾新宿校が見えるはずなので、歩道橋のほうへ歩く
 
【自習室】
新宿校の自習室の特徴は天井の高さと大きな窓による圧倒的開放感である。ビルがガラス張りになっているため、自然の光が豊富に自習室に入り込み、池袋校のような閉塞感とは無縁だ(ブラインドが全開になることはないので眩しい!とはならないのでご安心を)。一方で、前述のとおり非常に多くの学生が通学する新宿校にとって十分な容量があるかといわれるとそんなことはなく、夏休み期間などは午前中に満席になる日も多い。私はその弱点を利用して「早起きしないと席なくなる!!」と寝起きの悪い自分を奮い立たせたりもした。机の広さは十分で、隣席との間仕切りは木製で充分に大きい。
なお、池袋校と同じく、座席の指定はできない
 
【椅子と机】
机は他校と大差ない。しかし椅子は他校舎よりも固めであり、背もたれも超直角的だ。新宿校の椅子は正直言ってハズレである。また、自習室の椅子はだいぶ劣化が進んでおり、交換が必要だといつも思っている。

秋葉原*1

施設全体   :★★★★★
自習室    :★★★★☆
アクセス   :★★★★☆
自習室の混雑度:★★★★☆
民度     :★★☆☆☆
 
【施設】
2009年に開設された比較的新しい館である。「館」という言葉のさす通り、オフィスビルに入居しているタイプの校舎である。そのビルの名を「プルータスビル」といい、プルータスという金属商社の自社ビルらしい。一階には金属でできたアート作品を展示するコーナーがあるなど、なかなか特徴的なビルである。オフィスビルに入居しているだけあって教室数、収容人数ともにミニマムな感じである。ラウンジが現役と既卒で分かれているのが特徴で、この仕組みはぜひ全校舎に広めていただきたいものだ。ここに通う既卒生は全員早慶私文志望であるためなのかは不明であるが、どうにもにぎやかな人が多い。廊下で騒いでいる人も多い印象を受ける。それ故にラウンジが分けられているのかは不明であるが…
 
【アクセス】
JRやTXを使う人は少し歩く、日比谷線を使う人は非常に近い、という立地である。秋葉原といってもいわゆるメイド喫茶やオタク店舗のならぶ通りからは離れており、通学路にもそのような店はほぼない。
ロケーションとしてはオフィス街にあり、サラリーマンが多く、静かな場所である。
 
【自習室】
秋葉原館の自習室は椅子も大型で申し分ないのだが、いかんせん部屋の面積が狭く、移動する際にはどう頑張っても後ろに座っている人に接触してしまうのが残念な点だ。また、6階の自習室では一時退出時の整理券の提出が免除されているため(管理員がいない)に、授業開始前に席をとり、荷物を置いて授業に行くという人が多い。やはり民度は低いと言わざるを得ないだろう。自習室は館の定員に対して十分に確保されているようで、満席になることはすくない。
なお、麹町校と同様に、座席は自分で選ぶことができる
 
【椅子と机】
河合塾としては標準的な構成の、ふかふか椅子と大きな机である。特筆すべき点はない。
 

まとめ

綺麗な校舎がいい!  →麹町・新宿
開放的な自習室がいい!→新宿
自習室満席は論外!  →池袋
ウェイウェイ浪人したい!→秋葉原
でいいと思います…
 
自習室
の席指定
自習室
でのイヤホン
快適な
ラウンジ
エレベータ
の基数
自習室の
一時退出時間
近隣の
コンビニ*2
麹町
3
20分
〇ファミマ、〇ローソン
池袋
×
×
×
2
20分
ピアゴ、〇セブン
新宿
×
2
30分
〇ファミマ、△セブン
2
20分(~∞)
〇デイリー山崎、△セブン
校舎による大きなギャップをこの表にまとめた。
・麹町の快適なラウンジが△になっているのは、現役生はあそこを使うのはなかなか勇気がいるな、という視点から
秋葉原の自習室の一時退出時間が無限にまで広がっているのは一部のマナーの悪い生徒がいるせい
・新宿校のラウンジは静かで快適(監督員がいる)だが、別館にあるので移動が必要なのは要注意
※イヤホンを公式にOKとしている校舎はたぶんないので、もし注意された場合には速やかに外し、謝罪すること。
※3/17追記・更新

*1:秋葉原の現役生の授業を担当する講師たちが微妙なメンバーなので現役生には秋葉原館お勧めしない

*2:超近いのが◎、近いのが〇、遠いのが△