karatachi log

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馬鹿者な若者が世の中を語るイタいブログ

「愛国心」持っていますか?――「HINOMARU」の歌詞に寄せて

 
 「愛国心」はあるだろうか。
 そして、あなたの愛「国」とはcountryの国か、はたまたnationの国か、どちらだろうか。
 この歌が軍歌だろうと、右に寄っていようと、ここは現在、自由な思想や表現の行える素晴らしき国だ。誰に咎められる筋合いなどあるまい。しかしこの歌は、この歌を作った人、聴いてみて素晴らしいと思った人、拒絶したすべての人に対して、「愛国心とはなんだろうか」という問いを立てたという点で、大きな意味を持ったのではないかと思う。もしそんなことを造り手が予期していなくとも、だ。
 
人々の声を聞いてみると、「愛国心」は人それぞれの形を持つようだ。
 
 countryとしての「愛国心」は誰もが持っているだろう。自分の生まれ育った土地、文化、そして周りの人々。この愛国心を持つのは至極当然だし、芽生える理由も漠然と、しかし確実にわかる。ある種の親への感謝の気持ちに近いのではないだろうか。
 
 nationとしての「愛国心」。これを「愛国心」として呼ぶこと、呼ばれることに大きな違和感を持つのは私だけだろうか。nation、近代国家としての形を明確にする国民国家としての「国」はcountryとそこで育った人々を代表し、集約する無味乾燥な機関でしかない。国会議員はお偉いさんではなく、我々国民自身の分身であるということは学校教育を通じて何度も聞かされてきた話だ。
そして、国旗や国歌というものはそうした国家を象徴付ける物だ。大臣たちが会見をする前に国旗に礼をするのは国旗という物体に対して礼をしているのではなくて、国、つまりは我々国民に対して礼をしている。だから国旗や国歌を神聖なものとして崇拝するのは違うのではないかと思う訳だ。
(燃やしたりするのは明らかな敵意の発露だから無論気持ちのいいものではないに決まっている)
 
 そして、どちらの「愛国心」にも共通していえることは、教育されて身に付けるものではないということだ。私はこの日本という土地や文化、そこに暮らす人々は素晴らしいと思うし、その思想は決して対外的な排斥をしない純粋無垢なものである。そして、そのような思想は教育などせずとも伝わるものだと思うのだ。国家への愛国心、忠誠心は、勝手に抱く分には誰も文句をいう筋合いはない。しかし、それを忠誠される側が押し付けようとするならば、それはどんな意味の「愛国心」でもあるまい。
 
 私たちは幸運なことに非常に恵まれた環境に生まれた。その環境を維持するのは我々国民の義務であり、責任である。nationはそんな国民を助け、愛する存在でなくてはないらない。断じて国家は愛されるべき、忠誠されるべき存在ではない。国家が我々を愛するのだ。
 
あなたの愛国心は何に向かっているのだろうか。