karatachi log

karatachi log

馬鹿者な若者が世の中を語るイタいブログ

俺が浪人した7つの理由

すみません、誰の参考にもなりません。この春から浪人する私がなぜ浪人したのかを分析し、後世に残す…ための忘備録になります。
 
1.センターの失敗
2.二次の失敗
3.数学の応用力のなさ
4.数学1A2Bのやらなさ
5.やりたくない教科のやらなさ加減
6.赤本を適当にやりすぎた
7.基礎・反復が足りなかった
 
 俺はセンターを失敗した。何を失敗したかというと答えは歴然で、国語と化学、そして数学2Bである。正直前二つはもう少し取れると思っていた。国語はセンター試験最大の博打、とは勉強不足の敗者のことばで俺の場合は特に勉強が足りなかった。自慢ではないが古典はまあまあできた、いや出来たんではなく何となく当たったっだけなのだが。助動詞なんて一つも覚えず、単語もテキトーでこたえられるわけがない。最悪なのは漢文だ。へんどくもじ?って感じでいつも模試を受け「漢字と設問と脚注でだいたいわかるわ」とかくそなこと言ってセンタープレを受けていた時を恥じたい。それは駿台の模試の出来がくそだったから解けたのであって俺の頭が何となく答えを導いていたわけではないのだ。その点で駿台が憎ましいといえば憎ましい。模試は「君アホだよ」と教えてくれるツールなはずなのに「君割とできるやん!」とまぐれを誉められ、アホな俺はそれにつられ、漢文の勉強を忘れた。最も勉強する理由は皆目見当もつかないのだが。次に化学だ。暗記が糞ほど苦手で嫌いな俺は無機も有機も覚えることを直前になって放棄した。というより、覚えることが膨大すぎて挫折した。理論化学を習ったときはまあまあイケていたのに、無機有機になったとたんに俺の頭は働くことをやめた。そして俺の志望大学は二次は化学がいらないという。センターを目標に勉強することは簡単なように見えるだけ見えて大変だ。周りの人は二次でも化学を使う人間ばがりで、そういう人間が受けることを想定して作られた試験をでかでかと「センター試験用」と書かれた問題集の必修問題だけを解いてできたできたと喜んでいるいたのは今見れば猿よりひどい醜態である。センター分だけの勉強なんてないというのははっきりと自覚すべきだし、できれば二次も使うつもりで勉強すべきだった。そして数学。数学はもともと六割とれていればいい感じ、ほかで取り返そうと思っていた。ハイクソー。その思考をまず完全に捨てるべきだ。意地でも8割だと思い続けるか、ほかで100点を狙わない限り、その思考回路は破滅をもたらす。数学2Bは確かに計算量もなかなか膨大で難しい教科であるが、それに逃げてはならなかった。今回は数学1Aがわりかしできたからよかったものの、それはまぐれだ。過去問も模試過去問もいつも8割とれているようにしなければ無理だ。そう思った。古典漢文、苦手で苦手でしょうがない。つまらない。覚えてなにになるんだ。数学、物理には現象から公式が導き出され、それによってどんな現象にも説明がつく楽しさがあるし、地理を学べばこの日本の国土のこと、さらに世界のことがわかり、それによって歴史にも結び付く楽しさがある。英語はパズルだ。英文の内容は面白い評論がおおいし、往々にして英語の先生は面白い。英作文は英作文の前に自分で意見を述べるという過程があってそれが面白かったりするものだ。なのに古典漢文だ。なにが面白いのか誰も教えてくれなかったし、古典漢文おもしろいという文系の友達もいなかった。先生もこうやって覚えればいいんだよとしか言わなかったし、その先生を文系の先輩が「わかりやすい」と神格化していた。「わかりやすい」というのはそういう意味なのだろうか。それは単に「覚えやすい」なのでは?と疑問に思ったものだ。本当に「わかりやすい先生」というのは「わかりやすくその教科の面白さを教えてくれる」とか、「わかりやすくその解法がなぜ今回用いられたのか説明してくれる」先生なのではないだろうか。誰も古典漢文を使ってなにかしたいわけでもなく、その文学作品に興味があるわけでもない。やらなくてはいけないからといってただやるだけ。でもそれが受験で必要とされている技能だ。ならばそれをやらなくてはいけない。そうだ俺ば受験生だった。俺ば学問の面白さを探すエクスプローラーではなかった。思い出した。そうだ。そう思い込んでこの一年を過ごさなくてはいけない。そうだ。そうだ。そうだ。それに意味があるかないかは将来わかること、と誰かが言った。いま意味の分からいものに一生懸命になって、目先の訳の分かるもの、夢を追いかけることを後回しにするのは果たして賢明なのかわからない。でもそういうものだと飲み込もう。そういうヒトになってほしいとこの国はいっているんだ。そうだ。そうだ。
 俺は二次を失敗した。どう失敗したかというと、英語の焦り、数学の未熟さである。英語は焦った。時間なんてなかった。英作文を先に解くのは本番が初めてだった。なんでそんなことしたんだというと言い訳はある。過去問の不足だ。現行の出題形式になってわずか二年分しか過去問がなかった。だからどう解くかということを研究することを怠った。だからどう解けばいいのかわからずに失敗した。長文も失敗した、該当箇所がたくさんあるように思えて後に回した。「後」なんてなかった。英作文は単語数をコントロールする練習を怠ったせいで文字数がオーバーし、適当に削った。最後にへんな付け足しをして全体のバランスが崩れた。数学は正直できた問題というものがほぼなかった。確率はセンター後も前もやらなかったし、やっても無駄だと思い込んだ。私大では必ずと言っていいほど出るし、二次だって出るかもしれなかったのに。証明問題への準備が不足していた。誘導を見つけることができていなかった。そもそもとして数Ⅲを甘く見ていた。問題をこなした数が少なかった。薄いからという理由で一対一数学をやり、やりきることもできなかった。思考力も低かった。数学は思考力で決まるのに、典型問題をつぶそうとしかしなかった。しかもつぶれていなかった。もっと網羅的な学習が俺には必要だった。青チャートも黄チャートも投げた。ちゃんとやっていたやつはちゃんと受かった。自分のやり方の姑息さ、手抜き加減を恥じたい。もっと地道な勉強が必要だった。小手先の勉強で得た付け焼刃は振りかぶるだけで落ちた。もっと基礎をもっと何回も解いて叩き込むべきだった。数Ⅲだけでなく1A2Bもだ。もっと基礎をゆっくり確実にやるべきだった。身の丈に合わない勉強は意味がなかった。つけた付箋はつけただけに終わった。つけた付箋は戻るためのスタートラインだ。スタートラインの先からスタートしたって記録には残らないじゃないか。もう一度大きなスタートラインに戻った俺は何回もスタートラインに戻らなくちゃいけない。ゴールラインだと思った線がスタートラインになる経験は一回で充分だ。同じ過ちを繰り返すな。自分に正直に生きろ。手間を惜しむな。惜しんだ手間は死ぬまでの借金にしかならない。いつ手間をかけるか。浪人は人生で唯一の返済猶予期間だ。このうちに手間を返せ。今まで惜しんだ手間を、捨てた時間を取り戻せ。目の前を見たらいけない。遥か彼方を目指そう。今を悔もう。
 若干の具体的な策を練ろう。国語。これは本当に基礎からやらなくてはいけない。俺の頭の中の国語建設予定地は現状更地だ。逆に基礎以外いらないんじゃないかとも思う。センターだけのために勉強はやめろとさっき言ったが国語は東大生でも満点を取るのが難しいらしいのだ。それくらい難しい。そこで高得点を狙うのはそれこそ博打になってしまう。他の勉強に差しさわりの内容に毎週毎週の積み重ねが物を言うのではないだろうか。次に化学だ。化学は現在二次でも使うことを想定している。そう考えると二次でも使えるほどには化学を伸ばさなくてはならない。覚えることははさっさと覚えて、継続的におぼえつづけるような勉強をしないと、本番で使えるほどの知識は蓄積されないだろう。そして数学だ。数学はセンター対策と二次対策、そして私大対策の根底となり、かつほとんどを占める基礎に重点を置いてまずは攻略しなくてはならないだろう。そのためにはまず網羅系参考書を夏までに終わらせ、同時に予備校のテキストを完全に理解しなくてはならない。それをさぼるとセンターに響くし、二次にも響く。浪人にあとはない。私大でも通っていいかなと思えるような大学を確保しておかないことには不安で死んでしまう。だから私大対策としては重要になるセンター以上レベルの1A2Bを獲得しなくてならない。数Ⅲも網羅系参考書を完璧にしなくてはならない。結局数Ⅲは典型問題にひねりを加えたり、1A2Bの応用をくっつけたような問題が多い。数Ⅲだけやっても数Ⅲは伸びない。それを肝に銘じて数学という一つの今日として網羅的な勉強をしなくてはならない。
 結局、やった分だけしか伸びることはないし、やったとしても不十分であれば1ミリも伸びない可能性だってある。今あることをひたすらにがむしゃらにこなすことに将来の大成した姿を見出し、楽しようとか、違う方法がないのかとか余計な事せず、誠実にやっておけば、道は開かれると思う。今までの俺は今から反面教師になった。浪人は黒歴史になるという人がいるがそんなことはないと思う。逆に現役時代が黒歴史になるんだと思う。ああ、現役のころの俺はバカだったなと思える日が来ることを夢見て、目の前を向きたい。